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2018-11-18

苦労は買ってでも?

“若い時の苦労は買ってでもせよ” よく聞く諺です。

私が本当に若かった(苦笑)大学生の頃。当時、知性を絡めた話芸で超人気だった芸人さんが「若い時の苦労は買ってでもなんてとんでもない。歳とったら嫌でも苦労するんやから、買ってまでする必要ない」と逆説的なトークをされていて、表面的な部分で共感した記憶があります。

でも、今思えば、そんな表面的な話ではありませんね。当時の私は、日本でもトップクラスの厳しい校風の中学・高校生活を終え、日本でもトップクラスの自由な校風を持つ大学に入った頃。とにかく、理不尽な苦労が大嫌いで、自由を追い求めていた頃でした。だから、その言葉に「そうだ、そうだ」と反応したのでしょう。思い返すと恥ずかしくなるくらい、浅はかだったなぁと思います。

 

当時はわかっていませんでしたが、苦労は大切・・・というよりは、苦労を伴う場に身を置くことでしか磨かれない人間力があります。この社会は思い通りにならないことばかりで、頑張ろうとすればするほど強大な壁が現れてくるものです。どんなに頑張っても成功する保証はなく、時には理不尽な要因によって頓挫することも珍しくありません。でも、それを避けているようでは、辿りつけない場所があります。そこを乗り越える力を養う環境に苦労はつきものということでしょうか。

人は、特に(能力を高める旬の時期である)若い時には、苦労にさらされ、もがくことも悪くない。常に楽なほう、安易なほうに流れていき、たいした苦労もせずに安易に生きていくと、(そのまま人生を走り終えることができればいいのですが)いざ厳しい環境の中に放り込まれたとき、何もできずに立ち尽くすことになります。もしかすると、勝負所での第一歩を踏み出せるかどうかの運命の分かれ目で硬直してしまうかもしれません。実際、頭の回転も記憶力も人並み外れているのに(要するに頭脳は明晰なのに)、その力を活用できる場面がものすごく限られていて勿体ないという方もいらっしゃいます。もしかすると、磨かれるべき力の一部が抜け落ちたまま大人になってしまったのかもしれませんね。

 

今思えば、私の「生きる力」は、中学・高校の厳しい環境で過ごした6年間に土台がつくられました。たぶん、成績だけを言えば、もっと自由な環境の中でライバルたちと競い合うような環境の方が私には遥かに向いていたと思います。たぶん、ペーパーテストで正解を出す能力だけであれば、私の場合は心地よく純粋培養されたほうが成績は伸びたのではないかと思います。実際、当時は、意味のない(と思える)苦労をしなければならない理不尽な環境に、自分なりの意味づけすることはできず悩んでいるうちに時間が過ぎていきました。でも、今、思い返せば、その頃に悩みながら進んだからこそ、「生きる力」の土台が鍛えられたのではないかと思います。

もちろん、自分が壊れなかったから言えることで、もう一度やりたいか?と言われれば明確にNOですし、私は今でも理不尽なことをするのもされるのも嫌いです(苦笑)。

 

実は、昨晩は出身中学、高校の同窓会総会でした。その場で昔を思い出しながら、そんなことを考えた次第です。あの頃の苦労が何に結びついたのだろうか?と。ちゃんと自分の力になっていました。若い時の苦労、決して無駄にはなりません♪

*私の出身中学・高校は、知る人ぞ知る管理教育・スパルタ教育の学校でしたが、今は生まれ変わっています。時代も異なりますし。先生方のご尽力で進化を続け、今では知的で、明るく、魅力的な進学校として結果を出し、優秀な卒業生を数多く輩出しています。くれぐれも誤解なきように♪

↑中学・高校同窓会総会にて。卒業生が6,000人を超えたそうです。

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