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2018-12-28

50歳の節目に(後)目的・目標の成熟

自分は何のために頑張り、何を目指すのか?

そんなことを真剣に考えるようになったのは中学生の頃だったかもしれません。当時、とても厳しく、理不尽なことが溢れるスパルタ系の私立中学に通っていました(しかも寮生活)。逃げ場とやり場のないさまざまな葛藤を消化するべく、そんなことをよく考えました。その頃は「何のために生きているのか?」という形での自問自答だったかもしれません。学校の勉強にはあまり集中できず、そういう自問自答に殆どの「学習時間」を費やしていました。

そんな時期を通り過ぎ、大学は「自由」に溢れた京都大へ。環境が変わって多少能天気な状態にもなりました。とはいえ、それなりに悩んだり、苦労することもあり、徐々に大人への階段を昇って社会人へ。社会人になってからも、環境は変化し続け、何かのキッカケや節目があるたびに「 自分は何のために頑張り、何を目指すのか? 」という問いと向き合いながら今に至ります。

この問いへの答えは、人としての成熟度によって変化してきました。シックリくる答えを見つけることで、自分の力は数割増しとなって解放されるのですが、その“シックリくる”答えの中身は微妙に変化してきました。

例えば、20代後半の頃に自分の中で膨らんできた想いは、「この世に生かされている以上、自分の持っているもの、資質や能力、生活・仕事環境を使い切る責任がある」という義務感に近いものでした。

当時、病気や事故・災害等で不幸にして生き続けることができなかった何人かの友人との別れに直面したとき、会社内の波を器用に乗りこなしながら生きている自分に一種の罪悪感を感じたことを覚えています。もちろん、当時の仕事も決して価値のないことをしていたわけではありません。ただ、「自分を使い切っていない」「楽をして甘んじている」感覚を拭えないものがありました。そこで最初の一歩として中小企業診断士資格をとり、会社以外の世界に足を突っ込むことを決めました。

35歳で独立する頃になると、心の中には「自分が始めたからこそ、自分ならではと思える仕事をゼロから創りだしたい」という欲求が目覚めていました。

当時、会社では高い給料ももらい、さまざまな活躍のチャンスもいただくことができる環境にいたわけですが、その安定の枠を超えて「自分ならでは」に挑戦せずに一生を終えてはならない・・・そんな想いに背中を押されての独立でした。

「自分ならでは」を追究する以上、既に確立されている仕事や、普通に市場ができている仕事を他人から勝ち取るような構造に入っても意味がない。そう思って、自らの着想で「軍師」という領域を開拓し、それを仕事にするという無謀な(?)挑戦を開始したわけです。あえていばらの道を選びました(笑)。

そんなこんなで紆余曲折ありながら、ついに50歳。

今、私の中で「生きる目的・目標」はさらに変化してきています。最も大きいのは、良い意味で枯れてきたというか、「自分ならでは」ということのとらえ方が変わってきたことでしょうか。自分ではそういうものを感じる動きを大切にしたいのですが、他人にそれを認めてもらう必要性を感じなくなりました。

「自分がいなくても(引退したり、この世を去ったりしても)」価値が持続し、成長し続けるような仕事がしたい。

「神崎さんがいないと困る」と言われるよりも、「神崎さんがいなくても大丈夫ですよ」と言われる状態になったほうが嬉しい。

いや、そうならなければいけない。

自分自身の仕事を価値あるものとしていくためには、自分の必要度を落としていくことができなければ本物ではない。

その状態に持って行ったとき、自分が心のどこかで「自分ならではの価値を生み出すことができたな」と思うことができたら、それでいいじゃないか。

そんな想いが強くなりました。人生の残り時間が減っていることを徐々に実感するようになったこともあり、生き方とか価値観そのものが微妙に成熟してきていることの現れかもしれませんね。

もともと実年齢よりも精神面の成熟が早いタイプと周囲からも言われてきましたが(笑)、年齢を重ねるごとに、生きる目的・目標が成熟してきているようです。少しは私も成長できているのかもしれません。

目的・目標を成熟させつつ、人間としても成熟していく楽しみを味わう50代を過ごしたいと思います♪

ウィスキーをいただきながら「成熟」について考えています♪
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