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2018-11-19

学びは「仕入れ」か?

専門家、特に独立している専門家の中でよく耳にする言葉があります。

「最近、仕入れが足りない」

「ちゃんと仕入れていかないとね」 等々。

ここでいう「仕入れ」とは、本を読んだりセミナーを受けたりすることで、新しい知識や情報を獲得することを指しています。ニュアンスとして理解できないことはない言葉なので、専門家業以外の方でも使われるかもしれません。私も時々用いる表現です。

 

しかし、この言葉に対しては、若干の抵抗感を感じています。というのも、普段から学びの場を創り、提供することを仕事にしている立場として、その学びの場を「仕入れの場」ととらえている人が勿体ない回路に入っていくことが少なくないからなんですね。

 

知識や情報を仕入れ、自分の中の在庫として取り込み、それが必要な場面で(頭の)倉庫から取り出して使用する。

そういう形で活用できる場面もあります。でも、それだけでは勿体ない。知識や情報には、倉庫に眠らせている間に価値を失っていくものが少なくありません。そもそも、そんな在庫があることさえ、自分自身は忘れてしまいます。知識や情報がそのままの形でマッチする環境など滅多に発生しません。結局は活かす機会のないまま倉庫の中で埃をかぶり、気が付くと自然消滅するか、ただの容量を食う不良在庫のようになってしまいます。

とっても勿体ないことですが、学びを日常に活かしていくことが苦手な人の中には、この回路に陥り、価値が積みあがらない学びを繰り返してしまっている人がかなりいらっしゃいます。

 

では、学びとは何なのか?

 

私は、学ぶことは「仕入れ」ではなく、「加工」や「製造」に近いと考えています。

つまり、知識や情報に触れながら、その時点で自分自身をよりよく、より強くするために自らを加工、製造し、新たな自分づくりを進めること。それが「学び」だと私は考えています。自分自身が変わらないままで知識や情報を載せていくのではなく、それらを材料としながら、少しだけ成長した自分をつくりあげていくプロセス。学ぶということは、そうやって自分自身をつくりあげていくキャリア(人生)の中での1ステップだと考えています。

 

もちろん、学びを「仕入れ」と表現することを完全否定するつもりはありません。人によって表現の使い方は異なりますから。ただ、ここに書いたような視方でとらえたとき、ひとつひとつの学びをかみ砕き、消化吸収し、自分を強くするまでの流れを当たり前に積み上げている人と、それができない段階で終わる人の違いの1つが見えてくるかもしれません。

昨日よりも今日、今日よりも明日、少しよくなり、強くなる自分をつくるため、今日も日常の中で自分づくりを進めて参ります♪

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