虚勢を張る
私が嫌い、苦手とする行為の1つに「虚勢を張る」というものがあります。
人間だれしも、そういう行為をとってしまうときってあるのですが・・・自分自身が虚勢を張ってしまったときには、自分の嫌で弱い部分が暴発したと感じて猛烈な自己嫌悪、後悔に襲われます(苦笑)。
まあ、営業トークで多少大げさに話を盛ってみたり、自分を奮い立たせるために実態よりも大きな自分を周囲に見せながら頑張るという場面まで否定するつもりはないのです。ただ、物事には限度があります。ある一線を越えてしまうと、生理的に受け付けられないんですね。特に、コンサル関連の世界には、自分を凄く見せ、甘い世界の存在をチラつかせることで確信犯的に人を食い物にしている連中も多く、余計に嫌悪してしまうのかもしれません。
少し前の話になりますが、某アマチュアスポーツ連盟の会長告発問題がニュースやワイドショーを賑わせました。会長自身が各番組に生出演し、喋りまくる姿、その話す内容がワイドショー受けすることもあり、予想以上に長く報道が続きました。実際、強烈キャラの会長が話す内容は日を追うごとに過激さを増し、支離滅裂になりながらもとことん喋りまくる姿は、異様な印象を与えていたと記憶しています。
告発の内容の真偽や、この問題の背後にどんな事情が存在するかは全くわかりません。ただ、この会長が発している言葉や、話すときの様子は、典型的な「虚勢を張った状態」だと感じました。話の内容が本当かどうかは別として、あそこまで自画自賛、自分はこんなに凄いんだ!自分以外はこんなにダメなんだ!と、聞いているほうが恥ずかしくなるような言葉を連発する姿には違和感を覚えました。
コントロール不能な自己顕示欲、ナルシスト?のように、自分を愛し、自分に酔いながら、自画自賛を繰り返す。今風の言い方をすれば、とにかく「自分 ファースト!」の思考行動を繰り返す。かなり激しい「虚勢を張る」状態ですね。追い込まれ、周囲から自分が低く見られていると思えば思うほど、虚勢を張らずにはいられなくなったのでしょう。
そんな言動を繰り返す方、皆さんのまわりにもいませんか?
あの政治家も似てるんじゃないか?とか、あの経営者、後継者もそういう傾向が強くて困っている!とか、実は世の中にはそういう人がたくさんいます。本人は気づいていないけれども、実は周囲は失笑している(ごく一部の人だけがそれを信者のように受け入れる、もしくは全てを含めて損得で飲み込み受け入れている)状況になっていることもありますね。要するに「裸の王様」状態です。ある程度、長く生きてこられた大人であれば、たぶんそういう人のことが思い当たるのではないでしょうか。
この、不自然なくらいに(周囲が気持ち悪さを覚え、理解不能になるくらいに)「虚勢を張る」行為って、一体どんな心理から生まれるのでしょうか?
実際、そういう人が自分と利害関係のある立場で現れた時には他人事ではなくなります。私も自分の上司だとか取引先だとか、無視できない関係の人の中にそういうタイプが入ってきて、とても苦労した記憶があります。もちろん、上手に転がしておけばいいという場合もあるのですが、そういうわけにはいかないときもあります。本当に大変でした・・・。
そんなことを思い出しながら、ちょっと調べてみたことがあります。よくある話なので、既にいろいろな方々が分析されています。
例えば、「自信の無さ」や「人間関係のストレス」の現れとして、自己防衛のように虚勢を張る場合。これは確かに多いでしょう。
虚勢を張る人には小心者が多いという印象がありませんか?
彼らは周囲が自分に畏敬の念を全く感じていないと察したときには、これでもかと威張ったり、自分の強さを見せつけて相手よりも上に立とうとします。たぶん、対等の立場だと不安で仕方ないのです。
虚勢を張る人の中には「弾丸トーク」で相手に話をさせなかったり、会話の流れを無視して自分の主張ばかりをたたみかけるように浴びせてくる人がいます。他人の話を聞いていないというか、流れを無視して強引に自分の言いたいことだけをマシンガンのように話し出す。それも相手にペースを握られたり、自分の弱いところをつかれたくないことの表れなのでしょう。
例の会長は、取材者との間に全くコミュニケーションが成立していない感じでしたが、そういうことなのかもしれません。そんな感じで話せば話すほど、人間としての器量が小さいことを露呈し、全ての説得力を喪失するのですが、本人は気づきません。
あるいは、心理学者の加藤諦三氏の公式サイトにはもっと根源的なことが書かれていました。
加藤氏によると、「虚勢を張る人というのは、まだ子供の頃の甘えの欲求が満たされていない人なのである。他人の注目を集めたくてしかたのない人であり、他人から特別に扱ってもらいたくてしかたのない人なのである。」とのこと。
これはなかなか根深い・・・。そのまま大人になってしまった人は、その欲求が満たされるか、枯れるときは来るのだろうか?と、少々考えてしまいました。
また、虚勢を張ることは、実はその本人にとってはとても自然な行為になっている場合があるという指摘をされる方もいらっしゃいます。
例えば、子どもの頃から家族の中でも特別扱いされ続けると、自分は大事な存在だという意識が強くなり、周囲に自分をすごく見せようとするそうです。つまり、虚勢を張る。その時に周囲の反応が良い(?)と、自分はそうすることで人から好かれていると勘違いするとか。実は、周囲は愛想笑いしているだけなのですが、本人は自分の言動を好意的に受け止めてもらえたと勘違いしてしまい、さらに拍車がかかっていく。
なかなか辛辣な指摘ですが、確かに、大人になる過程で「虚勢を張ること」の愚かさや恥ずかしさを多くの人は理解できるようになるにもかかわらず、その時期をすり抜けて年齢だけ大人になってしまう人がいることの理由の1つかもしれません。
実際、聞いていて気持ち悪いくらいに「虚勢を張る人物」に対しては、皆、仕方なく愛想笑いや失笑してしまい、その場の空気があからさまにおかしくなっていくことも多いです。にもかかわらず、当人だけはそれに気づかず益々増長していくということが不思議でした。「この空気、読めないのか???」と(笑)。
しかし、この分析によると、本人にとってはそれが自然なことで、周囲の失笑をポジティブに理解していたということです。なるほど・・・と感じました。
このように、「虚勢を張る」という行為は、さまざまな心理から生まれてくるようです。
根底にあるのは、強すぎる自己愛だったり、ノミの心臓だったり・・・悪気はないかもしれませんが、それらが臨界点を超えて暴走し始めると、友人は減り、周囲から浮き上がる寂しい回路に入り、さらに拍車をかけていくのかもしれません。
そういう人が自分の利害関係者の中に現れたら、つまり放っておくわけにいかない関係の中に現れたら、皆さんならどう対処しますか?
程度にもよりますが・・・一線を超えると、自分がかかわって好転させる自信は私には無いのが正直なところです。ごめんなさい、私の手には負えませんというのが本音です。
筋論でいえば、「虚勢を張る必要はない。そんなことをしなくても貴方は素のままで十分魅力的だよ」とか「誰もあなたをどうこうしようとは思っていないのだから安心していいんだよ」とか「やればやるほど逆効果だよ」とわかってもらう工夫をするということなのでしょう。でも、それはものすごく難しいことなんです。「虚勢を張る心理」に陥っている人は、本質的な指摘をする人を避ける傾向がありますから。
一説によると、むしろ、人は自分と同じような何か(マイナス)を抱えている人と一緒にいようとすることもあるとか。
そういう人同士は、実は心の底では相手のことを嫌っていたり、信用できないと思っていたりするけれども、一緒にいるとお互いに何かの満足を得ることができるため、持ちつ持たれつでつながっていくことがあるそうです。
その状況の中には、常識的で本当のことを指摘する人が入り込む余地は皆無です。そういう利害の一致関係は長続きしないので、どこかで終わるものですけどね。私がこれまで出会った中で「自己顕示欲が強すぎ、周囲の手におえなかった」という人は皆、最終的に周囲に見限られ、寂しい回路に入っていきました。
進行の早い段階であれば、本人が変わる可能性もあります。あるいは、本人はもう変わらないという前提にたつしかないのであれば、自分や周囲との関係性を上手に組み替え、その影響力を弱め、実害を減らすしかないかもしれません。組織の中では、時々そうした反応が発生します。下剋上、反乱と紙一重の過激な反応だったり、上手に包囲網をはることで本人を封じ込めるとか・・・それもまた、組織の持つ防衛本能のようなものかもしれません。
人間は複雑な生き物です。それをとりまく集団の心理になると、さらに複雑です。だからこそ、面白いと感じます。