苦しい時こそ勉強
苦しい時こそ勉強だ!
かつてサラリーマンをしていたとき、親しい方たちと時々口にした言葉です。仕事をしていると、その意義や役割に対してポジティブな感情を持っていたとしても、細かな実務の場面では理不尽な状況に置かれたり、ストレスで眠れなくなるような状況が続くことは珍しくありません。
そんなときこそ、立ち位置を変える時間を持ち、目の前の仕事以外のことに目を向け、自分自身の今後のキャリアの土台となる勉強を進めて置け。その苦しさを糧にして頑張ろう。当時はその程度の意味で口にしていたと記憶します。
あれから20年以上経過した今、自分にはこの言葉に別の意味があったのかな・・・と感じられます。当時は無意識でしたが。
具体的には・・・「苦しい時、余裕がない時の勉強は効果的かも!」ということを無意識のうちに実感していたのかもしれません。
もちろん、それどころではないという状況も考えられますし、勉強する内容・テーマにもよると思います。しかし、当時取り組もうとしていたのは「経営・ビジネスそのもの」への学びであり、私はそれを通した30代以降の自分のキャリア再構築への関心を強く持っていた時期でした。
このテーマと向き合い、学び、再構築する上で、自分自身が苦しさを感じ、もがく状態にあるということは好材料になったわけです。目の前の実務で苦しんでいた部分も、同時進行で進めていた(一見すると別物の)学びで得た力によって乗り越えていくことができた面も多かったと記憶しています。
私のケースでは、「苦しい時こそ勉強」がピタっとはまったと言えるでしょう。
そして、今振り返ると、中長期の視点でも幾つかの気づきが浮かび上がります。
日常の中で向き合わざるを得ない現実と学びを結び付け、実際に苦しみながらもキャリアの転換期に入るときに学んだものは、そのまま生きた知恵として自分の土台に活かされやすいと感じます。
その後、私は30歳で中小企業診断士登録、5年間の二足の草鞋生活による試行錯誤を経て35歳で独立、今に至ります。「経営×キャリア」を扱う今の自分の土台は、自らがキャリアの模索を心の中に秘めながら学びを進めた時期につくられたと感じます。
おそらく、「楽だから勉強しておく」という姿勢で学んでいたとすれば、たぶん、役立ちにくい知識が幾つか開かずの引き出しに入って終わったのではないかと感じます。
学びを深めるには、楽な時よりも苦しい時(言い換えると、キャリアや成長への感度が高まる時期かな・・・)がベターかもしれません。せっかく苦労するならば、思いっきりそれを活かして学びたい・・・そんなことを自分に言い聞かせる今日この頃です。苦労は尽きませんので(苦笑)。