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2019-07-19

鎧を脱ぐ勇気と爽快感

私たちは何らかの「鎧」を身にまとうことで、毎日安心して生活できている。そんな側面を感じることがあります。

それは何らかの能力であったり、資格や肩書のようなものであったり、世間的な評判のようなものだったり・・・形はさまざまですが、その存在が自分を守ってくれたり、自分を実態以上に強く見せてくれる場合もありますね。

逆に、その鎧の存在が自分の視野を狭め、動きを制限し、本当は近くに存在している豊かな可能性を覆い隠しているような場合もあるかもしれません。

その意味では、本当の強さを身につけたいならば、時にはその「鎧」を脱ぎ捨て、素の状態で社会や人生、自分自身と向き合うことも大切だと感じます。

それには勇気が必要ですが・・・脱ぎ捨てた瞬間に言葉では言い表せない爽快感も訪れます。もちろん守られなくなったことによる不安感も(笑)。そんな感覚の中で「自分」というものの本質が浮かび上がる場合もあります。

私も何度となくそういう瞬間を繰り返しながら、今に至ります。

例えば、35歳で会社員生活に別れを告げたとき。それまでの13年間で身につけてきた「かなり重くなっていた鎧」を脱ぎ捨てました。そして勇気をもって脱ぎ捨てたことにより、それまでの13年間で本当の意味で自分の中に蓄積していたものの価値を知りました。さまざまな無力感や肯定感が錯綜するわけですが、そのプロセスがあったからこそ、次のステップに進むことができました。

また、3年前に大学院に入ったときは、仕事を続けながらの「学生生活」に身を投じました。つまり、守るべきものを守りながらの動きであり、完全に鎧を脱ぎ捨てたわけではありません。しかし、実はこれも自分が日常の中で身にまとっている「鎧」を脱ぎ捨て、素の自分になって自分と向き合い、非日常の世界と交わり、新境地を見つけ出すことを狙った試みでした。教室では単なる中年学生ですからね(笑)。実際、この「学生生活」期間を50歳の前に設定したことで、私は人間としての器や土台の再構築がかなり進んだことを実感しています。

とはいえ、人は歳を重ねていくと、せっかく身につけた「鎧」を脱ぐ勇気が出なくなるものです。やっぱり怖いですからね。

ただ、実際には「鎧」を脱いだとしても、ちゃんと自分に定着している価値や力は残ります。その価値や力がどの程度のものなのかを痛感するのが怖いかもしれませんが、痛感したことでそれが無くなるわけでもありません。ただ単に隠されていた現実に気づくだけですから。

であるならば、現実を受け止め、そこから次なるステップに進んでいけばいいだけのことだと思うわけですね。そして鎧を脱ぎ捨てたことによって軽やかに思考行動が動く自分から出てくる爽快感、パワーの放出感、クリエイティブなキャリア形成を進める楽しさの味を知る段階に進めば・・・そこに自分らしい豊かな人生(キャリア)が待っているかも・・・と思ったりもするわけです。

自分自身も試行錯誤する身として、また、軍師アカデミーという「豊かな経営とキャリア(人生)」にアプローチする場を提供し続ける身として、そんなことを実感する今日この頃です。

50歳を前に2年間、鎧を脱いだ学生として自分と向き合いました。。。
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