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2018-11-10

不易なる教えが示すもの

先日、「閑谷学校」という史跡を訪ねました。

学校建築として唯一の国宝指定された講堂を有し、子供の頃にキャンプしたり、宿泊して学ぶ施設も併設していることから、地元では知られた場所です。この季節は楷の木の紅葉が見事です(実際、息をのむ美しさでした)。

ここに「論語の小径」という散歩道があり、そこには孔子の教えが掲示されています。散歩道としては短めの距離しかないのですが、せっかくなので久しぶりに掲示を読みながら歩いてみました。

改めて感じたのは、孔子の教えは現代でも通用する不易なものであること。言い換えれば、紀元前500年超の昔から「人はこうあるべき」と説かれ、伝えられているにもかかわらず、人間はそれを体得することに苦労し、同じような過ちを繰り返しているということ。人はそもそも未熟で不完全な生き物だということでした。

ちょっと情けないかも・・・。でも、だからこそ可愛く、魅力的な存在なのかも・・・。生き物としての筋力その他はある年齢から先は衰えてしまうものの、別の意味での成熟は死ぬまで続く。ある意味、死ぬまで未熟。それこそが不易なる、人間の持つ特性なのかもしれませんね。

私は、人は誰しも向上意欲を持つものであり、それは死ぬまで持ち続けることができるはず(それが終わる時が人生の終焉」と考えてきましたが、未熟でありつづけるからこそ向上意欲が生まれるわけで、未熟にも大いなる意味があると改めて感じた次第です。未熟さを受け入れ、認め、だからこそよりよくなる自分を目指して時を重ねる。その面白さを感じ続ける生き方をしたいものです。

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