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2019-03-18

美学を持つということ

誰もが認める球界のスーパープレーヤー、イチロー選手が日本に凱旋帰国。45歳という年齢、長く試合に出ていないブランクを感じさせない風貌で多くの野球ファンを魅了しています。流石ですね。

一方、ここまでのオープン戦での成績は芳しくなく、この投稿記事を書いている時点までで(日本の試合も含め)21打席ノーヒット。多くの人は改めて現役選手としての彼のキャリアの終焉の気配を感じ取り、本人の耳に入る場でそのことを語るようになっています。

身体能力が重要なプロアスリートである以上、本人も考えていないわけはなく、球団とも当然話はしていることでしょう。しかし、環境が現役続行を許さなくなる瞬間までは、(たとえその瞬間が明日やってくるとしても)自らの力で勝ち取った「現役としての場」において全力を尽くすのが彼のキャリア感なのかもしれませんね。「引退」という言葉を自ら切り出す様子はありません。

プロ野球選手は独立した個人事業主としてオファーを受けて仕事を続けているプロフェッショナル。有名選手の場合、その引き際について外野からあれこれ批評されますが、自分の存在が求められ続ける限り「キャリアの選択権」は選手自身が持っています。そして、その選択権を勝ち取ってきたのは他ならぬ選手自身。誰が何と言おうと、思う存分走り抜ける姿を私たちに見せつけていただきたいものです。

プロとしての引き際をどのように描くのか? それはプロとしての美学に基づくキャリア選択だと感じます。

例えば、超一流プレーヤーとしてのパフォーマンスを維持できなくなった時点(もしくはそれを予感した時点)で現役を終えるという美学もあるでしょう。

あるいは、衰えていく自分の姿を見せることを厭わず、最後まで衰えに抗いながらも頑張り続けるという美学もあるでしょう。

何が正解というものはないでしょう。周辺関係者にとってはそれぞれの立場ごとに意味が異なりますので、できればこうして欲しい・・・という違いも生まれることでしょう。

しかし、少なくとも、その美学を受け入れ、そのカタチを貫くことを支持・応援し、期待してくれている人たちが存在する限りにおいて、彼らには「キャリアの選択権」があります。別の言い方をするならば、支持・応援・期待してくれる人たちがいなくなった瞬間に、自らの選択肢は一瞬で消え去ってしまうシビアな世界で彼らは生きているわけですね。

そのシビアな世界で生き抜いてきたイチロー選手には、意識しているかどうかはわかりませんが、きっと大切にしている「美学」があるのだろうなと感じながら、打席に向かう美しい姿をTVで見せていただきました。

どんな業界でも、この「美学」を確立している人は魅力的ですね。

論理的、合理的に物事を追究し、的確に思考することができるだけでなく、全体を俯瞰しながら“美しさ”を崩さないような感性を捨て去ることなく世の中と接することができる人。自分を上手に、美しくマネジメントしながら周囲と美しい状況を創り出していく人。そんな人は、自分だけでなく、他者の美しさも大切にできます。その土台を支えるのが、「美学」なのかもしれません。

美しく仕事をし、美しく人とともに課題を解決し、美しく生きる。明確に論理で説明しようとした瞬間に美しさを損ねてしまうような視点ですが、とても大切なことだと感じる今日この頃です。

かつて住んでいた京都岡崎エリア。桜が美しい。
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