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2018-11-26

深みを出すもの

歳を重ねてきたということでしょうか、最近益々「深みを感じるもの」に惹かれるようになってきました。

仕事、付き合う人、飲み食いするもの、費やす時間の全てにおいて、「深み」や「深みを目指そうとしている人・モノ」と出会ったときに私は喜びを感じます。逆に、薄っぺらく、浅い印象を拭えないもの、表面的で奥深さがないものに魅力を感じにくくなってきました。もちろん、単純明快でわかりやすく、ホッとさせてくれるものや軽やかなものを求める瞬間もありますが、普段の重心は「深みを感じるもの」に寄ってきたようです。

これも、大人となり、成熟していくことの現れのひとつかもしれません。(もしかすると、この時期を突き抜けた先にはさらに別の境地があるのかもしれません。)

 

さて、こうした「深み」はどこから生まれるのでしょうか?

 

例えば、料理には基本の五味「甘味・旨味・塩味・苦味・酸味」(「辛味」の扱いとか、調理法によって微妙に分類の仕方が異なるようです)というものがあるそうです。プロの料理人は、この5つの味を巧みに「足し算」「掛け算」「引き算」しながら食材を操り、料理を完成させるとか。

際立たせたい「味」を強調するために、ほかの余分なものを極限まで削ぎ落とす仕事を丁寧に施すからこそ透き通るような1つの味が表現されたり、逆に相反する要素を隠し味として入れることにより、厚みのある「味」が引き出されたり・・・。「甘い」ことが重要なんだ!と、ただ単に砂糖をドンと足せば簡単じゃないか・・・というわけにはいかないのが料理の奥深さであり、面白さなんだと思います。

この中でも、特に興味深いのは「苦味」です。おそらく、私たちは「食べてはいけないもの」「毒の可能性があるもの」を察知させるために、苦味を感じるという機能を味覚の中に持っているのだと思います。しかし、奥深い味を出すためには、「苦味」の要素を入れることも必要な場合があるのでしょう。とっても苦い焦がした油を投入することで美味しく仕上げるラーメンもあったりしますね。単独では苦いだけのものも、料理の中でほかのものと結びつくことによってプラスになることはよくあるようです。

子供は別ですが、味覚が発達し、味の深みがわかるようになってきた人には、そういうヒネリが重要になってくるようです。もちろん、入れすぎると逆効果ですが。

 

この料理における「深み」の生み出し方は万事に通ずるものと感じます。奥深い仕事をしたければ・・・、あるいは奥深い人付き合いをしたいと思えば・・・、甘味だけとか塩味だけとかではなく、5つの味の全てを勇気をもって含ませていくことが大事になります。時には「苦味」のある要素を組み込まなければ到達できない領域が存在します。

 

例えば、コンサルやセミナーの仕事をする場合でも、「甘味」や「旨味」だけで構成しておけば、その場は予定調和で抵抗なく流れ、何となく「良かった」という気分にはなるかもしれません。しかし、所詮は薄っぺらい仕上がり。あっという間に記憶は薄れ、普段通りの日常に戻ってしまいます。

しかし、ある程度、苦味や酸味の要素を利かせ、深さを出すことで相手は自ら考え、味を見つけようとします。そして、まだ味わい尽くしていない(自分がつかみ切れていない)と感じる未消化部分を適度に残しておくことで、「もっと味わいたい」「もっと何かを見つけたい」という次の行動につながるエネルギーにつながります。

「深み」を持つ仕事とは、その場で簡単には「全部わかった」と思わせない仕事と言えるかもしれません。わかってもらいたいのだけど、「全部わかった」と思わせてはいけないという葛藤の中で生み出していくわけです。しかも、料理同様、相手の味覚の発達度合いもさまざまであり、その発達段階を踏まえながら繰り出していかねばなりません。

 

まさに、「そんなことできるのか?」というほどの深い話に行きつきます。でも、その深みを感じるからこそ、その先にまだ見ぬ新しい領域があるのではないか?というのが私の仕事へのモチベーションの1つでもあります。

引き続き、「深み」を求めて参ります♪

↑ 素人ながら隠し味を入れつつ調理している写真です♪

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