確証バイアスに要注意
人は、自分の考えが正しいと結論付けるために、都合の良いものだけを見ようとすることがあります。
自分の考えを否定するもの、反証するものから目を背け、自分が正しいという結論を出すために物事を見ようとすること。社会心理学の世界では、これを「確証バイアス」と呼ぶそうです。
私自身もそうですが、人の頭の中は「仮説」「推測」だらけです。不確実で、不透明な社会を生きているわけですから当然です。そして、人はできれば自分の仮説や推測が正しいものであって欲しいと考えます。結果的に、物事の本質、本当の姿、意味から目を背けてしまいます。これは誰しもが陥る可能性がある、脳の仕組みのようなものかもしれません。
例えば、医学的、統計学的には全く根拠がないにもかかわらず、日本では不思議なくらいに市民権を得ている「血液型占い」。
「血液型占い」を信じている人は、その妥当性を見つけるために、「当てはまる例」を探します。当てはまらないものは目に入りません(入れようとしません)。すると、幾つかの当てはまる部分が見つかり、「ほら、やっぱりそうでしょ!」と肯定します。全く論理的ではないのですが、そうやって無理やり確証しようとする心理。これが「確証バイアス」です。
「血液型占い」については、「確証バイアス」以外にも、「バーナム効果」(誰にでも当てはまる曖昧な指摘を、自分だけに正確に当てはまると感じてしまうような効果)や「予言の自己成就」(予言通りに自分が行動して予言を実現する。つまり、几帳面な性格と言われたことで几帳面にふるまうようになるといった現象です)も組み合わさることで今のように広まったと言われています。
また、ネットの世界ととても相性の良い(?)「陰謀論」も、この「確証バイアス」によって広がっているという側面があるでしょう。
世の中に「陰謀」と言える動きはそれなりに存在します。人間はいろいろな欲望や本能をもち、相互に利害関係をもちながら生きていますから、時には「陰謀」を仕掛ける人もいるでしょう。
しかし、「陰謀論」で語られるような、ごく一部の人が世界を思い通りに動かしているといった話は絵空事です。この社会はそんなに単純ではありません。たとえ、陰謀によって社会を動かそうとしても、人はそれぞれにバラバラの意思を持ち、自由が許される中で行動しているわけですから、思惑通りに物事が動くはずがありません。ある特定の誰かが社会を思い通りに動かし続けたり、思惑をもって制御し続けるようなことなど、構造的にあり得ないわけです。人は神様ではありませんし、この社会は誰かが書いた小説でもないわけです。
しかし、現実には、誰かが自分の快楽や欲望のために流し、勝手に増幅していった「陰謀論」を信じてしまっている人はかなりいらっしゃいます。思い通りにいかない難しい環境の中を生きていると、世の中を根拠なくシンプルに理解したいという衝動を持ちやすく、そこをつけこまれるのかもしれません。特に、何らかの出来事により自分自身の無力感、世の中の不確実感を心の中で抑えきれなくなった人はその方向に走りやすいようです。
さらに、たとえデタラメでおバカな話だったとしても、それが既存の常識を覆すような話であった場合、それを受け入れた瞬間にかなりの快感がもたらされるそうです。開眼したような錯覚なのでしょうか・・・正直、私にはよくわかりません。笑
自分の中で陰謀論を信じてみたいという気持ちが芽生えると、そこからは「確証バイアス」が強く働き始めます。陰謀論信者にまっしぐらです。
世の中には、ある程度の「陰謀」事例は転がっていますからね。見えないところで悪いことをしていた企業とか、大事なことを隠していた国の機関とか・・・「ほら、やっぱりそうじゃない!」と陰謀論を後押ししてくれる話はそれなりに存在するわけです。
だからといって、なんでもかんでも全てを陰謀だ・・・と片付けるのは思考停止でしかありません。でも、ついつい何の根拠もないような大嘘話やデマも一緒にして信じたくなる人は少なくないようです。自分の仮説を肯定しようとするわけです。否定要素からは目を背けながら・・・。
実は、かなりの知識層、いわゆるインテリ系の人もこの罠?にはまると、その鍛えてきた頭脳をめいっぱい「確証バイアス」のために機能させ、深みにはいっていくようです。それもまた快感なのでしょう。
もしかすると、賢い人ほど転がされやすいかもしれません。
例えば、今話題のゴーン氏逮捕の話について、極端な陰謀の存在を信じたくなるような衝動を感じた方、危ないかもしれませんね。
他愛もない雑談・冗談を友人たちと話すくらいは愛嬌ですが、この社会には、そういう心理に陥りやすい人を食い物にして生きている連中がたくさんいますから・・・陰謀論を信じるよりも、そういう小物の陰謀にひっかからないように注意したほうがよいかもしれません。