禍を転じて福となす
“禍(わざわい)を転じて福となす”
よく知られた諺です。私自身、仕事を進める中、キャリアを積み重ねる中で、時々噛みしめてきた諺です。挑戦的な課題に取り組もうとすればするほど、そこには難局が現れます。その難局は見るのも嫌なものかもしれませんが、目を背けるならばそこで可能性はジ・エンドです。
そんなとき、私は「今、自分が試されているのだな」と感じながら、この諺を思い出します。
わが身の不運を嘆いたり、わが身の未熟さを悔いるしかないと感じるような難局に遭遇する瞬間。その難局は自ら招いたものかもしれませんし、運悪く巻き込まれたものかもしれません。多くの難局はその両方の原因で発生します。
起きてしまったことは取り消せません。だからこそ、そういうときに自分の真価が問われます。
例えば、「いつかはとてつもなく大きな問題になる。でも、それがいつかはわからない」という潜在的なリスクを認識していたにもかかわらず、長年にわたって軽視・放置してしまっていた場合。それが何かのキッカケで顕在化してきたとき、私たちはわが身の愚かさを後悔します。人によっては、自分の愚かさよりも、問題を顕在化させたキッカケを恨むかもしれませんね。人間は弱い生き物ですから、誰だってそういうことはあるのではないでしょうか。
しかし、大切なのはそこからの切り返しです。
- 今、こうして問題が顕在化してくれてありがたい。今こそ、本気で対処するべきチャンスだと、天が自分の背中を押してくれた。
- これ以上、問題が深刻化する前に気づけて良かった。腹をくくってチャレンジすれば、このまま放置し続けていたよりも、はるかに状況は好転する。
- ついに未来への扉が開いた。
表現はともかく、そんな切り返しができるかどうかが自分に問われます。
さらに、その切り返しに挑戦しようとしたとき、それまでの自分が蓄積してきたものの価値が見えてきます。応援してくれる仲間の存在、気づかない間に磨かれていた能力・・・キャリアの中で積み重ねてきたものの価値が表面化し、自分を支えてくれます。
私自身、自分がゼロから生み出し、いろいろな人の協力や参画を得て組み立ててきた事業を未来に向けて一皮剥いていきたい時期に入っています。当然、さまざまな難局が訪れるでしょう。しかし、その難局こそがチャンス。禍(わざわい)に見えるものを味方につけ、仲間たちと一歩先に進むべきタイミングなのでしょう。
まだまだ挑戦は続きます。