会見に一人で臨んだ理由
ゴーン氏の逮捕を受けて(合わせて?)開かれた、日産西川社長による記者会見。たった一人で会見に臨み、長時間にわたって記者の質問を受ける姿がそこにありました。
あれだけの巨大企業の記者会見、しかも極めてセンシティブであるはずの“経営トップの逮捕”という一大事の会見です。通常であれば、広報や法務担当役員、弁護士等が同席もしくは後方に控え、事務方も含めていつでもフォローにまわることができる体制を整えるでしょう。しかし、今回は様子が異なりました。かなり珍しいスタイルだったと思います。
そこから何が読み取れるでしょうか?
もしかすると、もともとの西川社長のパーソナリティとして、自ら先頭に立つタイプなのかもしれません。でも、事の大きさを考えると、それだけではないような気がします。
例えば・・・推測ですが、おそらく本件の経緯、まだ公開されていない情報の全てについて、西川社長は誰よりも詳しく、会見の場で誰よりも情報量の面で優位にたっているからこそ、一人で十分だったのかもしれません。つまり、記者から何を聞かれようとも、自分の中にある情報だけで対応できる(言い方を変えると、その場で誰かに情報をもらったり、相談しないといけないような場面はない)という自信があったのかもしれません。自分が迷う場面では、自分以外の誰も判断できないだろうと思えるくらいに、事案を隅々まで熟知し、考えられること全てを想定し尽したという自信があったのかもしれません。通常の会社の記者会見では、トップは下から上がってくる情報を学習してその場に臨むことが多く、そのレベルにまではなかなか到達しないのが現実です。
今回の動きについては、会社内でも極秘に進められていたということで、西川社長は常にその中心にいたのでしょう。
とはいえ、あれだけの場に臨むには相当の胆力が求められます。どんなに能力が高い人でも、情報を十二分に持っていたとしても、多くの方は会見中に多少の動揺を見せ、揺らぐものです。
今回の案件で言えば、有価証券報告書の虚偽記載という多くの投資家に対する裏切り行為を会社として行ったという話が本筋ですから、社会に対して説明する会見の場において、会社は加害者に他なりません。会見は、その加害者としての説明責任を果たしながら謝罪の意も示す場です。西川社長もその加害者側の責任者の一人ですから、通常であれば針の筵に座るような状態になると思われます。
しかし、実際の会見は全く違う空気で進みました。日産と西川社長は、自ら案件を検察に持ち込み、ゴーン氏と側近の逮捕に向けて協力するという立場に立ちました。自分たちも加害者ではあるけれども、それを反省し、正すために動いているという立場をつくり、その立場からのメッセージを伝えるために会見を開いたということなのでしょう。
つまり、狙いをもって仕掛けた会見だったということです。記者たちからの質問に翻弄され、感情を揺さぶられ、転がされることになる多くの“受け身の記者会見”と異なり、用意周到に準備し、自分たちから仕掛けたプランの中に組み込まれていた計画的会見。逮捕日(会見日)も入念に下打ち合わせされて定められた可能性が高いようですし。
なお、この事件の背景には、(既に一部で語られているように)ルノー社及びその大株主であるフランス政府による支配からの離脱を図ろうとする狙いがあるのかもしれません。あるいは、もっと個人的な感情がそこに絡んでいた可能性もあります。こうした出来事の背景には、論理的な説明のつく大きな要因があることも多いですが、実際には極めて個人的で感情的な何かが最後の一押しをするということもあります。人間がやることですからね。ともあれ、何らかの狙いをもって機会を伺う中、決定的な綻びを見つけ出すことに成功し、脇の甘さを突いて攻めていったということかもしれません。
現時点でその真偽はわかりませんが、西川社長の記者会見での姿は、強くて主体的な意思、何かを目指そうとする狙いの存在を感じさせるものでした。表情、言動のすべては、「期せずして起きてしまったこと」に攻められて守る人のそれではなく、「自らが仕掛けた戦い」に前のめりに臨む人のそれだと感じました。
「西川社長一人での記者会見」という形を選んだのは、ここに勝負をかけている西川社長(及び本件の仕掛け人たち)自身が最もしっくりくる戦い方だったということでしょう。危険も伴うはずですが、戦いのモードに入った人は少々のリスクならば覚悟して突っ切りますし、突っ切ろうとするパワーも湧き出てくるものですから。
結果的に、どんな未来がやってくるのかはわかりませんが・・・いろいろな意味を読み取ることができる記者会見でした。