toggle
2018-12-14

モヤモヤ感を残す

時と場合によりますが、私は研修やセミナーで大事な話をお伝えする際に“モヤモヤ感”を意図的に残すことがあります。

目的は、お伝えしたいことを記憶に残していただき、最後のピースは自分で見つけていただくため。そのピースはそれぞれの方の日常とのすり合わせて作るしかなく、その当時者たる自分自身に「ああでもない、こうでもない」と模索しながらつくっていただくしかないのです。

研修やセミナーの場で、疑問点が残らないようにスッキリと話を完結させてしまった場合、そこで参加者の思考は停止してしまいます。一瞬気持ちよくなるかもしれませんが、あっという間に「話の内容が何であったか」という記憶は消滅してしまいます。もしかすると、脳内のどこかには入っているのかもしれませんが、二度と開けることのない引き出しに綺麗に収納されて終わりになるかもしれません。

人は、完結した話に対しては興味や緊張感を持たなくなってしまう傾向があると言われます。

逆に、未完結、未完成のものに対しては、「気になってしょうがない」「その先を知りたい」という欲求が生まれます。もちろん、その欲求が満たされない場合、一線を越えるとストレス過多になり、「訳が分からん」という思考停止で終わってしまう危険性もあります。したがって、話し手として勇気が問われる部分でもありますが、あえて未完結、未完成のものを残すことで、その話は記憶に残りやすくなる(引き続き考え続けてもらえる)ことがあるわけです。実際、「うまくいった話」はすぐに忘れてしまい、「うまくいかなかった話」のことは忘れられないということって、ありますよね(笑)。

これは「ツァイガルニック効果」と呼ばれるもので、マーケティング等でもよく使われている心理学理論に近い方法です。

カタチは異なりますが、「一番大切なのは●●だった」と伏字を用いて「何?何?」と気をひく広告を目にすることがあると思います。それも、人が未完結、未完成のものにひきよせられるというツァイガルニック効果を狙ったものです。

いろいろな伏線をはっておきながら、それを拾うことなく終わってしまう映画やドラマも、もしかすると次回作に向けた余韻・記憶を残し、次を観たいと思わせるための仕掛けかもしれませんね。

また、謎の多い人物と出会うと、どうにも気になってしまい、惹かれてしまうとか、全てわかったと思った瞬間に興味がなくなったという経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。それもツァイガルニック効果です。

あるいは、電車や飲食店で他人が行う携帯電話の話が気になってしまい、ものすごく迷惑!というのは、会話として成立していないもの、未完成なものが耳に入ってくるので、その場で誰かが行っているリアルな会話以上に気になってしまうからと言われています。

私が研修やセミナーで密かに狙い、仕込んでいる「あえて完結させず、モヤモヤ感を残す」ことで狙っているのも、ツァイガルニック効果の一種と言えるのかもしれません。あるべき論で考えたときに行きついたスタイルなので、この心理学的手法を使うために組み込むようになったわけでは決してありませんが。

大学入試や資格試験対策のように、「正解」が決められたものに効率的にたどり着くための技術を鍛えればよい学びであれば、その正解にあわせた枠内でわかりやすく技術を学べばよく、モヤモヤ感を残すようなリスクを冒す必要はないのです。むしろ、見事なまでのスッキリとした解法を示せばよいのでしょう。予備校講師の方はその部分で特化されているのでしょうね。

しかし、私が扱う「経営」や「人生」をテーマとした学びには「正解」などありません。他人が「正解」を示すことなどできるわけもありません。それぞれの当事者が正解らしきものを手繰り寄せ、不透明で完結しない流れの中を進んでいくしかありません。そのための力を養うわけです。最終的には、当事者がモヤモヤ感と立ち向かい、正解が定まらないものと向き合い続け、思考と行動を積み重ねていくしかないと私は考えています。

だからこそ、私は「あえてモヤモヤ感が残る」くらいの話の幅と構成を話に入れ込んでいくわけです。一歩間違えると「わかりにくい」と言われる危険性を秘めています。モヤモヤ感を活かすためには、前提としての意味づけや適度な「わかった感(何かを見出したことによる喜び)」がセットでなければなりません。その意味では、講師としての私自身にもいろいろな意味で覚悟や技量が求められるやり方です。

しかし、予定調和でその場の満足、私にとっての危険回避を優先するだけでは、仕事の意味がありません。

多くの人の幸不幸を左右するかもしれない学びに携わるものとして、それくらいのリスクテークをできないようでは、この仕事をする資格はない。そう考え、今も精進を続けています。

関連記事